つれづれパーソナル

正義のこん棒ーなぜ人は人を叩くのかー

 

最近、一部のTwitter住民を賑わせている「妊婦様」「ベビーカー様」「子連れ様」「時短様」「道路族」etc。。。

気が滅入るのでなるべく見ないようにしているのですが、それでも時々目に入ってきてしまいます。

 

こういった人たちをとにかく叩きまくっているアカウントというのが存在していることも知り、  異世界を見た気がしてそっと画面を閉じてしまいます。

 

今回、この心のモヤモヤを解析してみようと思いました。

 

一般論としての「人を叩く心理」

子連れ云々の話からいったん離れます。

 

一般論として「なぜ人は他人を叩くのか」「なぜ人は見知らぬ他人を攻撃するのか」・・・背景には2つある気がします。

 

正義のこん棒

最近目にした「正義のこん棒」という言葉。

”自分自身の正義感をもとに、間違った人・ことを叩く様”を言うようです。

 

社会問題を提起するまっとうな番組は、両方の立場に迫って視聴者に「さあ、どうする?」と問いかけるものが多いと思います。

 

が、夕方のワイドショーなどは大体「正義のこん棒」の出番で、その対象はマナーを守らない外国人観光客・日本を挑発する他国・子供の虐待を見逃した自治体・ゴミ屋敷を放置する住人etc、例は数え切れませんよね・・・。

 

 

正義vs悪、が分かりやすい構造で描かれていることが大半です。

 

正義感を駆使しているので、一緒に怒って「悪者」に怒りを感じ、叩くと、自分が偉くなったようないい気分になります。

 

かくいう私も「ごめんなさい、今電車なの。」とか言いながら延々と電車の中でケータイで喋ってるおばさんなどは白い目で見てしまいます。別にたいして迷惑でもないの、ルールを守っていないというだけの理由でイライラ

 

眠らぬ母さん
個人的には「別に迷惑じゃないし、他の国のように電車の中でも電話しても良いことになれば効率的なのに」と思っているのにこの状況。

 

「ベビーカー様!」「時短様!」と他人を叩くことも、この精神に基づいているのでは?と思うようになりました。

 

もしかしたら、「あいつらはルールを守っていない!」という正義感からやっているのでは??と。

 

眠らぬ母さん
「〇歳なのに哺乳瓶でミルクをあげている!!虫歯になる!」とか「生後〇か月なのに離乳食を始めてない!」と他人を叩く親も同じですけどね。あるガイドラインや基準を逸脱していると、許せない。他人の子なんだからどーでもいいのに・・・。

 

「認識している世界が違う」

これは私が勝手に感じていること。

 

当然のことですが人によって住む場所も違うし、活動する時間帯も違うし、目にする”人種”も違います。

 

札幌の人が見る日常と、那覇の人が見る日常は違うし、20歳の若者が見る日常と、80歳の老人が見る日常も全く違うことでしょう。

 

 

これらはもちろん例えで、要するに「同じ対象について話をしていても、違うものを見ているので前提が噛み合わない」ということです。

 

眠らぬ母さん
さらに、同じ20歳の若者でも、状況や興味の対象の違いによって、目に入ってくる日常は異なるでしょう。

 

話を戻すと、大半の子連れはベビーカーが邪魔にならないように配慮したり、自分の子供が泣いたら静かにするようにあやしたり叱ったり何らかの手を打っていると思います。

 

私自身は30年ちょっと生きてきましたが、泣いている子供を完全放置していた親というのは一生で2回しか見たことがありません。

 

一方で、「最近の親は人に迷惑をかけて平気」「子供を泣かせっぱなしで何もしない」「しつけをしない」「子連れはうるさい」と一般化して主張する人もいます。

 

こういう人たちは、①そういう親が多いエリアに住んでいるのか、②たまたまそのような場に遭遇することが多いのか、もしくは③自説と思い込みが強いので、子供をあやしている親が目に入っていない可能性すらあります。

 

眠らぬ母さん
前提や思い込みというのは、世界の見え方を変えてしまうほど強いものだと思います。「ないない」と言いながら探している、冷蔵庫の中の目の前のバターが見えないうちの父とかね・・・。

 

子連れを叩く心理

日本の同調圧力

一方で、子連れに厳しい心理の方・・・。

 

今の日本(東京?)でベビーカーや公共の場での子連れが歓迎されない理由の一つは「皆(マジョリティ)と同じことが出来ないから」「人に迷惑をかけるのは悪なのに、迷惑をかけるから」だと思います。

 

眠らぬ母さん
あとは、単純に色々と余裕がない時代なのかな・・・。

 

例えば、「公共交通機関の中では静かにしなければならない」と言う日本のルール。

 

 

朝の通勤時間などは何十人もの人が乗っているにもかかわらず誰も話さず、音一つ出すこともはばかられる状況。

 

そんな中で子供が泣くというのは「公共交通機関で静かにするというルールが守れていない=悪」なのだと思います。

 

で、相手が悪いのだから、叩いていい。

 

人の邪魔になるようなことをしてはいけないのだから、ベビーカーのようなかさばる物が乗ってくることはルール違反だ。

 

だから、叩いていい。

ルール違反をしているのが"ヤバいお兄さん"だったら何も言わないのでしょうが、相手はヒエラルキー最下層の女性x若年層x子供、なので、口に出しやすいのでしょう。「パパが子供を連れているとなにも言われないのに」というのはよくある声です。

 

もちろん本当は、単に他人に威張りたいだけのオヤジもいるかもしれませんが、なんにも"非"のない人に絡むわけにもいかないので、こうやって人間は自分の行動を正当化しているんじゃないかと思います(自分含めて)。

 

眠らぬ母さん
目の前の全てが自分の思い通りになるわけじゃないのにね。

 

他の国では日本ほど「他人に迷惑をかけてはいけない」という教育がないのか、空港に行けばアジア人が隣で大音量でYouTubeを見始めるし、夫の国にいけば、マンション&深夜でも大音量でクラブミュージックを流してパーティー。

 

眠らぬ母さん
個人的にはインドの「あなたも人に迷惑をかけるのだから、人の迷惑を許してあげなさい」というメンタリティーにはびっくりしました。「迷惑をかけてはいけない」という日本と逆!

 

※因みにこういう記事を書くと私も何か言われそうなので先に言っておきますけど・・・

  • 混雑が死ぬほど嫌いなのでラッシュ時には移動しないし、電車遅延などで混雑した電車に乗らざるを得ないときは(つり革に掴まることも出来ず、母子共々倒れて皆さんに甚大なご迷惑をおかけするかも知れませんが)ベビーカーを畳みます。
  • 娘は電車好きなので電車の中ではあまり泣きません。ぐずっても家から持ち込んだあらゆる手段で泣き止ませています。
  • 何かと人に迷惑をかけないようにペコペコしながら最大限頑張って生きてます。

 

 

みんな違う正義感や不公平感を持っている。みんな違う

みんな違う環境から来ているから、怒りをおぼえるポイントや正義感が溢れてくるポイントというのは異なります。

 

一時報道されていた青山の子ども家庭総合支援センターの例などは「私は努力してここに土地を買って家を建てたのに、DVから逃げてきた金のない母子が同じエリアに住むなんて許せない」という正義感と、「虐待などで苦境に陥っている子供を救う施設を作ることは当然のことだ」という正義感の戦いでもあったのではないかと思います。

 

時短様に対する「みんな残業するのに時短の人だけ残業しないなんてずるい」も、1人だけみんなと違う=不公平だ、という感情。その感情を時短を取る人にぶつける人もいれば、会社や上司の采配にぶつける人もいます。

 

怒りを感じるポイントも、矛先も、人によって違う。でも、個人的には「今は誰にも迷惑をかけない自分も、明日には弱者や事情を持つ者になって他人に迷惑をかけるかもしれない」というのは覚えておいたほうがいいと思うのです。

 

私のような人間は"子連れを叩く人"をみると「ああ、自分も叩かれているのか・・・」と無意識のうちに思ってしまいますが「最近の親は人に迷惑をかけて平気」という批判に該当しないのであれば、実は自分は攻撃されてはおらず、感情を揺さぶられる必要はないのかもしれません。

 

みんな、自分の正義の名の下に世の中を正そうとしているだけもしれません。

 

でも、あんまり怒っていると疲れるし、自分が怒るべきことではないかもしれない・・・。他人の強い感情にさらされると心が疲れる・・・。

 

そんなときにアンガーマネジメントの考え方は役に立ちます。「自分の力では変えられない」×「それほど重要ではない」ことにイラつくのは無駄です。「自分の力で変えられること」×「重要なこと」に注力するためにも、受け流すことも必要かと。

 

https://www.asahi.com/articles/ASKCS45KTKCSUBQU01V.html

 

私達自身、「他人のことは変えられない」というのをもっと理解しておいた方が幸せなのかな、と思います。

 

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