踊るのが大好きな我が家の娘。
だが母(娘の祖母)が、楽しそうに踊る娘をみてナチュラルに「ダンス系に行かないように、お勉強の方に行かせないと」と言って
「ああ、これだよな。何年経ってもこれなんだよな」
と胸がチクリと傷んだ。
今日はそんな、「子供の得意・不得意」と「親の考える良い未来」の話。
親の考える「良い未来」
私の親はいわゆる教育熱心な親で、今でいう佐藤ママに負けず劣らずの実績を出している。
※子供4人を東大医学部に行かせた、有名なお母さん。
以下、言うまでもなく、子供の勉強に熱心な人を批判してる訳ではありません。
「教育熱心」にも色々なスタイルがあると思う。
- 子供の才能を伸ばしてあげたい
- 世界で生き残れる子供にしてあげたい
- 一流大学に行けるようにしてあげたい
- 手に職をもたせたい
様々なスタイルの中でも、あまりにその想いが強いがために
- 好きな物を禁止される
- 親の認めるものしか出来ない
という感じだと、結構しんどい、というのが成人した子供の本音でもあったりする。
私自身、一番にやりたかったことは、ことごとく遠ざけられてた。
数十万円するピアノやフルートは「昔からお金を積み立てていた」ということで買い与えられた。
が、どうしても欲しかった色鉛筆や油絵の絵の具は却下。
つまり、お金の問題ではなく、「親が望むものか否か」の問題。
高校の授業でいくつか選択制の授業があり、そこで美術を選択しようとしたら却下。
美大に行きたかったが猛反対。
美大ではない”普通の大学”に行くことになったけれど、心理学や哲学を学びたいと言ったらそれも却下。
美大も心理学も哲学もダメな理由は「いいところに就職出来ないから」。それはそれで、真実なんだろう。
真にガッツのある人なら親の反対など振り切って自分の好きなことを追求するのだろう。
けれど、小さい頃からそんな調子だと、いつしか自分の杭の小ささを理解出来ないゾウのようになってしまう。
サーカスの象とは
学習性無力感(学習性無気力)やトラウマの説明に用いられるメタファー(例え話)。
サーカスの象は、杭につながれた鎖で逃げられないことを小さな頃から学ぶため、大きくなって鎖を杭ごと抜く力を得ていても、それを試そうともしなくなる。
これは、管理者によって管理しやすく教育されていることを表す。
「小象の鎖」、「象の鎖」とも言う。
結局、他人の目を気にしないフリをしつつも、「自分が何をしたいか」よりも「”周り”がどう思うか」が自分の選択基準になってしまった。
「やりたいことをしなさい」というタイプの親がいることを知って高校の時に衝撃を受けた。
大人になった今となっては、奨学金もなしに大学に出してくれて、それだけで大変ありがたいことだとわかる。世の中には大学に行くチャンスすら与えられない人もいる。
ただ、スポンサーだからといって、子供の選択や希望や将来やりたいことに反対して良いということではないと思う。
お陰でそれなりのキャリアを得て経済的にも程々の余裕はあるけど、結局それを捨てて好きなことしようとしてるので、数十年におよぶ皮肉な遠回りだなと思ったりする。
親子の価値観の違い
とはいえ親を批判する気持ちにはなれない。
というのも、「自分の価値観にそぐわないことは子供にやらせたくない」という気持ちは多かれ少なかれ、どの親も皆持ってるよな、とは自分にも思い当たる。
娘もアイドルに憧れたりするかもしれないけれど、出来ればアイドルなんてやめてくれ、と思う自分。反対にアイドルになって欲しいと願う親もいるのだろう。
その点、世界的プロゲーマーの梅原大吾さんのご両親の胆力というのは凄まじいと思う。
梅原さんのお父様も、自らの親からやりたいことを反対されたので「子供には好きなことをやらせる」という方針だったらしい。
が、梅原さん自身も推測している通り、学校も行かずに精神の限界までゲームに没頭するというのを容認するのにはかなりの忍耐力と子供への信頼を試される。
人によって、許容出来る範囲が違う
ある日、気がついたのだけど、自分が理想と思うのとは違った道に子供が進もうとしたときに、その"許容範囲"が広い親と狭い親がいるのだと思う。
自分が想像したのとは全く違う道に子供が進もうとしたとして
そのときに「まあいいか」と思える許容範囲が''ものすごく広い親''と''極端に狭い親''がいるのだと思う。
他人に対しての許容範囲を日頃から広く持っている人の方が前者になりそうだし、自分自身も生きるのがラクになりそうだなと。
— カオリ (@no_sleeping_mom) January 11, 2022
許容範囲が広い親は放任とも言えるのかもしれない。
逆に許容範囲が狭い親は、極端な例で言えば「東大でなければ」とか「私の夢を引き継いで○○になって」といった感じで学歴や職業選択の自由を奪う。
「よかれと思って」とか「あなたのために」というやつは難しい。
野球が大好きな子がいて、もしかしたら第2のイチローのごとく活躍したかもしれないのに、親の信じる良い未来が「良い大学に入る」だったら・・・。
本当なら東大医学部に入るような能力がある女の子の、親の信じる良い未来が「女の子は結婚して家に入ること」だったら・・・。
「良い未来」は世代的な違いもあるし、子供によっても違う。結局のところ、その「未来」は他でもない子供自身が歩んでいくものなんだ。
子供への愛ゆえの信念であることが多いからこそ、どうやらその未来と子供が望む未来が違いそうだと気がついたときに、路線変更出来るか。
米デューク大学の研究者であるキャシー・デビッドソン氏は
「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」
と言っている。
子供が聞いたこともない新しい職業に子供が就くと言ったときに、自分の既存の価値観で判断しないか。
自己変革が出来るか、親も問われる。